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引き継ぐもの

10月16日真夜中に母が永遠の眠りにつきました。享年81歳でした。小さな脳梗塞が見つかって10月7日から入院、それからあっという間でした。 母とは決して仲が悪かったわけではないのですが、生き方があまりにも違うので、どうやって折り合いを付けたらいいのかお互いわからないような空気感がいつも流れていました。


母は口数も少なくとても慎ましい人で、いつも自分よりも家族を一番に考えて生きていました。時代も時代だったと思いますが、原爆で父親を失くしていますし、耐え難きを耐え忍び難きを忍ぶ、激動の昭和で静かに運命を受け入れた女性の一人でした。 そんな母だったので、私が学生時代にバンドを始めたり、就職してやっと落ち着いたかと思えばフラメンコを始めてスペインに行ったりすることは全く理解出来なかったようでした。いつも私と兄の身の上を案じてばかりいて、心配が先に立って、私が何を言っても何をやってもイエスと言われたことはありませんでした。私は母親の深い愛情からと理解しようと努めましたが、その当時母には随分つらい思いをさせているのは自覚していました。


私がフラメンコを教えることになったと報告した時、私がなぜそのように生きてきたかを 初めて理解してくれたのが母の表情から読み取れました。それ以降は相変わらず心配は止みませんでしたが、黙って私を受け入れてくれる様子から、少し氷がとけたような関係になりました。 母のことはずっと気になっていたのですが、兄も父と共に自宅で生業を営んでいるので一日中母と一緒に居てくれていました。我が家はみんな不器用な人間ばかりで、派手に母を喜ばせたりするようなことはしなくても、兄だけは母を寂しがらすようなことは絶対にしなかったと思います。母の世話をすることも全然厭わず、兄には本当に感謝しています。私は忙しさにかまけて、兄に甘えていました。


でもいつか母親と向き合う日が来る…来るかもしれない…来て欲しい、となんとなく感じていました。どんなに思いが巡っても、私の魂のルーツがやはりそこにあるような気がしていました。 母が入院してから、コロナウィルスの影響もあって長時間の面会は出来なかったんですが、なるべく毎日顔を見に行きました。入院がきっかけで、皮肉にも母も私も無駄な力が抜けたのではないかと思います。ほんの1週間でしたがお互い素直になれて、とても柔らかく温かい時間を過ごしました。これからやっと向き合えるかもしれないと思いました。母もそう思ったと思います。


親の命はいつまでもあると思うな、と言います。遅かれ早かれとは思っていましたが、あまりにも突然でした。母の肉体は生を全うして天上へ還っていきましたが、今不思議と母を身近に感じています。私の中の暗闇で足りなかった最後のピースがはまったような感覚です。私自身は子供を産む選択を取らなかったので、命を有限の形で引き継ぐものは残しませんでしたが、母が最後に与えてくれたそのピースは、完成ではなく、本当の意味で命と向き合い、その無限に包まれた命の波動を世界に引き継いでいく時がきたことを教えてくれたように感じています。


病床で身動きが不自由になっても、「贅沢を言うたらいけん」「迷惑かけたらいけん」と、か細い声で言っていました。母は純粋な人だったんだと思います。世の中で起こる悲喜交交な出来事は彼女にとっては重すぎたのかもしれません。子供は自ら親を選んで生まれてくると言いますが、私が彼女を選んだ意味が今はっきり分かりましたし、彼女を心の底から誇りに思っています。 お母さんありがとう。


ブログを始めたばかりで、このような報告をすることになるとは思っていませんでしたが、どうしても心の整理がしたかったのと、母が生きた証を残したかったのでここに記しました。 長くなりましたが、最後まで読んで頂いてありがとうございました。

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