相変わらず音楽は日々の生活を潤してくれていますが、元々メロディよりはリズムの方が断然グッとくるし、歌詞の意味より先に言葉が音に気持ちよくのっているかどうかの方が大事だし、フラメンコに惹かれるのも音楽というよりはそのプリミティブな世界観ゆえで、マントラや祝詞などもよく聴いてるんですが、私の中でそれらはただ好きとか音楽の範疇を超えてる気がしてたんですね。私の中の同じ源泉から湧いてきているもの、という感じかな。
と言いますのも、広島市中区で私のバランスワークのクラスをお世話してくださってる方がいて、常に本能に導かれて生きてらっしゃるなって感じの人なんですけど、なのでかなり彼女を私リスペクトしてましてね。その方も昔バンドされてたらしく、それも同じベーシスト。「楽器のチューニングをするのに音叉使ってましたよね」から、ふたつの音を合わせるっちゅうかだんだん振動が合ってくる感じよねー、って話になったんです。
その時はたわいも無い会話だったんですが、最近私の神さま好きが講じて昔の日本のお話や神道について調べているとなんか視界が明るくなると言いますか、癒されるなぁとほっこりしていましたら、日本語の母音は宇宙から生まれたという言葉と出会って、マントラのOMもそうなんですよね、その時に何かビビッと走りましてね。
そこから閃いたワードを色々検索していったら、音叉に繋がりました。
あー、なるほどと笑。
私は確かに音楽が好きなんだけど、呼ばれてるのは'音'なんだと。振動や波動、周波数みたいなところだとは思ってたんですが、私が踊りや身体や芸術、自然などからいつもその同じものを感じていて、それは曲線だったり渦巻きだったり、寄せては返す波のような流動だったり、リズムだったり、それらのイメージが'調音'という言葉で私の中でリアルに繋がったんですよ。
そして2年前ぐらいから急に'声をだす'という行為がどうも気になり始めて、歌いたいのか私?って我ながらWHYだったんですが、今回のインスピレーションで改めて呼吸についても思うところがあって、ただ単に方法論としてではなく、’声を出すこと’とは呼吸をコントロールすることに繋がり、やはりそれは波であり、私の中で生まれるもの全てが自分を調音する手段として私の中の泉で泳いでいたんだとわかりました。
確かにマントラや祝詞はもはや聴いてないな、唱えてますすでに笑。つーか、昔ヨガのTTCで1ヶ月アシュラムにこもった時、何が一番楽しかったかというとチャンティングの時間だった思い出した!それとプージャっていう儀式。もうヨガどころじゃない、血湧き肉踊る自分がそこに居ました。
バランスワークで前からやりたいなと思っていること(それは踊り念仏笑)、それもここに繋げてみると納得が行きました。自分との調和に振動や音を使えっていう神さまのお告げでございます笑
そしてこれは確実に統合へ繋がっていく予感がします。
みんなで共有していける形に持っていきたいです。
さてさて、これから何が起こるのかしら。ワクワクします。
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