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瞑想


最近寝る前によく瞑想しています。

瞑想=無になること…と一般的には解釈されますが、無になるって果たして一体どういうことでしょうか?

私は踊っている時や音楽を聴いている時、車を運転している時も瞑想状態に入ったりします。これは文字通り無になると運転中はさすがにまずいですよね、わかってますよ笑。

無になるとは、私の場合空っぽになるわけではなく"集中した状態の中に自分がふわっと浮かんでいる"ような感じです。

集中した状態に入るために何かを無心に続けてみる。最近パン瞑想とか写経、お裁縫とかも近いでしょうか、気づいたら集中してた、みたいなのが一番いいですよね。

そうゆう機会がない場合に敢えて瞑想してみるとしたら、ヨガを学ぶ時瞑想も課題に含まれますが、例えば一つのろうそくの灯りを見つめて段々そこに集中していきましょう、みたいなアドバイスがあります。邪念さんは頭に次々と浮かんできます。そのまま、なんならウエルカムぐらいで放置して、大事なのは感情を持たずに傍観を続けることです。

でもこれって、瞑想が成立する以前に自己肯定感が高まっていく過程なんですよね。

初期衝動という言葉が思い当たったんですが、これはロックの人達がよく使う造語で普通は使わない、らしい笑。自分の本能から生まれた最初の感覚、込み上げてくるものですね。それは本当のあなたなんだけれど、どうも都合が悪かったりした時にそこに否定が生まれるんですね。厳密に言うと、否定は後から発生するんですよ。

ポジティブ・ネガティブ論議のトラップにはまるやつです。私もしばしばパラドックスの迷路に入り込みますが、あくまでも二元の世界ではなく、平行世界なんです。

'ポジティブである'ということは、自分の本能から醜いものが決して生まれてこないわけではなくて、生まれてきたもの全てをまずは受け入れることです。これは受け入れる=肯定するということではありません。人間も動物の一種なので、外界から吸収する外界へ排出していく循環で体は機能しているし、そこで毒が発生するのは当然です。体を健全に保つために毒は発散しなければいけません。あくまでも循環するのが大前提です。

否定が生まれた時に一番いい対処法は傍観です。客観的にみる。自分の内なる声を聴く。ジャッジをしない。

何故否定が生まれるのか。その否定は本当に醜いものなのか。結局自分の事は自分にしかわかりません。自分が自分の本当の味方になって体と共に解決に向かう過程は自分自身を浄化します。自己肯定とは、自分は素晴らしいんだというよりは生まれてきてよかったと腹の底から思うことではないかと私は思います。そこから他人の味方にもなれるんじゃないかな。

'集中すること'や'肯定感をあげること'はやることが目的になって、結局何がやりたかったのかしら?になりがちです笑。大事なのは自分が'集中した状態になる''肯定感があがる状態になる'ために、自分には何が必要なのかを実感することではないかと思います。頭を使うより五感が感知することの方が、偏見が混ざらないからいいんでしょうね。ろうそくをぼーっと見つめるのに悪意は生まれない...はず笑。

毎日24時間は無理ですよ。凸凹しているのが人間です。私もどうしても邪念さんから解放されない時ありますし、そんな時は都合のいい言葉を見つけました。"バイオリズム"です。これめっちゃいいですよ、まぁ仕方ないか生き物だもの、でもう片付ける笑。抜け穴を作るのも生き抜いていく一つの方法ですもんね。


集中した状態では、自分が無でありながら冷静にクリアに全てが見えています。

そうゆう時間が生活の中に生まれると、足元やお腹に安定感が戻って確実に自分が内側から変わっていきます。


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