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美しいもの


月2でブログ書きます!って言ったくせにいきなりサボってたいづみです。

あまりにも、全然浮かんで来なかったので…sorry。

そして私がSNSがなんか苦手な理由がわかりました笑!

子供の頃から割りかしmy world人間だったんですが、他にもそういう人いるだろうし、

不確かなもの、実際目に見えるものではない世界が私の体の中で無限に広がっていく感じがただ単に気持ちよかったので、他人と共有する必要は感じてなかったかも笑。


かと言って、文系とか芸術系というわけでもなく、本は未だあまり読まないし、どちらかというと答えがはっきり出てくる算数の方が好きでした。これはその当時も我ながら不思議だったんですが、要するにそうゆう感覚に対して私はジャッジも同意も求めてなかったんだなと笑。


私にとって学校とは生徒たちが自己表現をする場ではなく、基本的に与えられるものに対してどれだけ自分が理解出来るかをただ単に知るためのものだったんでしょうね。中にはいろんな形で自己を表現してる子は居ましたが、日本は学校自体が生徒の自己主張を求めるようなシステムではないし、私正直あんまり興味がなかったし不満もなかったです。


私の兄は友達居ないし社交性も皆無なんです。その兄からFacebook始めるから教えてって言われた時にかなり?ってなったんですが、兄も子供の頃から不変の独自の趣向を持ち続けている人で、一切卑屈になることもなく一人で日々楽しそうに投稿する姿を見て、これは血なんだなと笑。生まれて初めて実の兄を腹の底からリスペクトしました。


昔の事ってほんとに覚えてないんですが、国語の授業で、何かしらの思いを文章にする課題があった時に、"美しいものを美しいと堂々と言える人になりたい"みたいなことを書いた覚えがあって、その部分に先生が大きな赤丸をつけてくれてたんです。別にいいこと言った私とは思わなかったんだけど、その赤丸はしっかりと私の思いを認めてくれた色に見えて嬉しかった感覚は覚えています。

でも何でそれが残ってるのか自分でもわからなくて、でも大人になるにつれて、何かの気づき?と合致した時に答え合わせが終わった、みたいな、腑に落ちるんですよ。そして今それですまさに笑。


もはや自他ともに認める浮世離れ人間に成長しましたので、堂々と美しいものを美しいと言える大人になりました。っていうか、私にとってはもうそれが全てです。人生は、正しいか間違いかではなく美しいか美しくないか。それは私にとっての美しさであって、他人にとってはたわいも無いことかもしれません。一個人が秘める美しさは他人にとっては狂気にさえなりますし、純度があがればあがるほど、もしかしたらそれは脅威に変わるかもしれません。それを言葉にすると’神秘’なんじゃないかな。だから美しい。


ゆえに、この度得た答えは'完結する自己満足'…ですかね。SNSってなんかやっぱり私はこうゆう人です、って言わなきゃいけないみたいな圧感じますよね笑。'美しいものは美しい'って、主張になるのかな?報告でもないし笑。伝えたい思いと主張って違うと思うんですよ。思いってジャッジや同意をしてもらう前提で放つものではなくないですか?そうなると、小説とか詩、芸術は美しく世界に放たれるものですね。



久しぶりに口を開いたかと思ったらなんか重かったですかね笑。

こんな話を発信出来る場所があって、たまたま訪ねてきてくださる人がいて、これもこの世に属している一つの証ですもんね。SNSもそのように続けていけたらいいのかな。

最後まで読んで下さってありがとうございました。

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